子どもにとってのスポーツとは何か

前回はスポーツって何なの?というところの一部に触れました。
今回はそこから派生して子どもにとってスポーツって何なの?という話。

記事を3つほど紹介します。いずれもジュニア期のスポーツについて取り上げています。
最近はこの手の情報がとても増えてきたように思います。

ジュニアのスポーツって何なのでしょう?
体育ではありません。スポーツの話です。

まず、前提として、勝つ必要はありますか?という問い。

読者の皆さんはどう考えますか?
難しいですね。スポーツですから、勝ち負けはあるでしょう。でもそれはコインを投げたら表か裏が出るようなもので、スポーツをやったら結果として勝ちか負けがあるということです。

個人的には私の負けず嫌いな性格上、フィールドに立ったら相手が誰だろうと負けたくないですし、当然勝ちに行きます。ですから、白黒つけるのが悪いと言いたいわけではないのです。白黒自体に白黒以上の意味合いはないということです。

それを第三者が勝ち負け以外の何かのために勝ちを求めてしまう。名誉なのか、お金なのか、仕事だからなのか、他にはなんでしょうね。ここで言う第三者は、たいていの場合、親や指導者といった大人です。勝ちを求めるが故に練習する。休まず、練習しつづける。いつしかそれはやらなきゃいけないものとなる。ここまでくると、そのスポーツをやる理由はもはや“やりたいから”ではありません。

楽しければ勝手にやるでしょうに。練習終わっても、明日も、明後日も。それはやりたいからやる遊びと並列のはず。そう、スポーツは遊びです。

負けると悔しいから次は勝てるように工夫します。どうすれば悔しい思いをしなくていいか考えます。考えたものをやってみて、やってみた結果、勝つか負けるかやってみます。勝った先に何があるかなんて考えません。それはドミニカの空き地での野球や、ブラジルの路地でのサッカーそのものです。

甲子園に出る意味は何なのでしょう。全国大会を目指す意味は何なのでしょう。逆に出られなかったら何なのでしょう。本当に難しい問いです。私も答えは持っていません。でも親にも指導者にも、スポーツに関わる大人にはぜひ考えてもらいたい問いです。

そうなると、育成って何なのでしょう?という話になります。タレント発掘やら適性選抜やら、いろいろな取り組みが増えてきましたが、それは何を意味するのでしょう?勝つことがお金になるスポーツビジネスのため?“お国のために”が大義名分のオリンピック、パラリンピックのため?ここまでくるともう哲学の領域ですね。誰も答えは持っていないでしょうし、正解があるのかも分かりません。

繰り返しますが、勝ちを目指すことが悪いと言っているのではありません。しかし、勝てばうれしいから勝ちたい。そういう純粋な動機であってほしいのです。その喜びはどうやったら味わえるのかを考えて、やってみる。スポーツというのは、そういう工夫や思考といった準備の楽しみと、単純にそれをやっている最中の楽しみを感じて、“白か黒か決着つけてみようじゃないの”というのが健全な姿だと思うのです。


大人の持つ勝ち負けの意味が、子どもの持つ勝ち負けの意味を侵害しませんように。


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