あそびの価値と意義 ~グーツムーツの主張~

「力や器用さの不足は、市民社会に多くの問題を引き起こし、病気や身体的忍耐力の不足はまさに我々市民の教養人を悩ませる。文化界の教養人階層の非常に重苦しい病は、無気力で、安楽癖であり、身体的努力に対する嫌悪である」


これはドイツの教育学者(体育学者)であるグーツムーツによって著された『遊戯書』(Spielbuch. 1796)に関連したところで200年以上前に述べられた一文です。先に述べますが、本記事の「」で記された部分は以下の森田氏による文献の引用です。


グ-ツム-ツの遊戯論-1-「遊戯書」における遊戯思想と教育的基礎づけ
GutsMuths' Theory about Plays and Games (No.1) -His Through and Educational Fundation in "Gamebook"
森田, 信博  ,  MORITA, Nobuhiro秋田大学教育部研究紀要 教育科学
(32)  , pp.154 - 167 , 1982-02-01 , 秋田大学教育学部
ISSN:03870111
NII書誌ID(NCID):AN00010271
リンク:https://air.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=1261&item_no=1&page_id=13&block_id=21https://air.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=1261&item_no=1&page_id=13&block_id=21

繰り返しますがこれは200年以上前に謳われたもので、日本で言えば江戸の寛政にあたります。驚くべきはその風刺が2世紀を経た今でもなお耳の痛い指摘である点です。

新たな時代に求められるものとして
「誠実さや信頼、強靭な性格、ゆるぎない愛情、楽しさや勇気や男性らしい意識」
であるとも述べ、それを阻害するものが
「身体教育の無視、青少年の力強さの不足や無気力で甘やかされた生活法」
であると述べています。
正鵠を射た指摘ですね。

私の拙い理解と表現だと伝わるものも伝わらないので、上記の文献を引用しポイントを以下列挙します。

●遊戯は国民全体の教育手段としての意味をもつ
●遊戯には生活準備、人格形成、性格教育などの教育的な有用性の価値が内在する
●遊戯は身体と精神の修練と休養の観点から、青少年の心身の発達に持続的な有用性をもたらす
●遊戯は健康の維持増進に役立ち、身体の健康こそは精神の澄んだ快活さをもたらし、遊戯の保護と奨励により、祖国の若者の健康を養うのに貢献できる
●遊戯は身体的能力の発達はさることながら、各感覚器官を十分に働かせるばかりでなく、観察力、注意力、記憶力、想像力などを修練する好機となり、全体として高い認識力が養成される
などとあり、これらのことから「市民社会を支える者に求められる資質が、青少年期から遊戯によって獲得される」と考えたようです。

どうでしょう。遊ばせない理由が見つからなくないですか?
以前『あそびの可能性』という記事を書き、多くの反響をいただきましたが、グーツムーツには初めて触れることで、私が提唱する“あそび最強説”に強固な援護が加わりました。




尚、余談ですがグーツムーツはある種のあそびに関しては以下のように批判しました。
「青少年を非常に長い間椅子にくぎづけにし、無口のままで時を過ごさせ、身体のためにも、精神のためにも、まったく何も達成させないばかりか、両者に非常に害を与えるもの」
思い当たるものがありませんか?200年前にグーツムーツが批判したのはサイコロやカルタを使った賭博遊戯ですが、現代にも当てはまるあそびがありそうですね。あとは想像にお任せします。

最後に彼の主張をもう少し。
休養は、特に青少年に必要であり、祖国の数百万人の青少年が1日2時間遊戯が行なえる休養があれば、どれだけ人間な時が過ごせることか

勤勉であろうとするならば、遊ばねばならない

だそうです。


さぁ、あそびましょう。





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