型からはみ出すために型がある

というわけで前回と前々回の話を関連付けてみます。
型を持つのが大事だと言ったり、型からはみ出すのが大事だといったり、、、
自分でもうまく説明できるか分かりませんが頑張ります。
が、これ↓が結論です。



基本的に私自身が考える私の役目としては、トレーニングを指導するというより、最終的に選手のパフォーマンスが上がれば良いという割り切り方をしています。というかそれが本来のトレーニングの目的です。(ファンクショナルトレーニングなんて言葉を使わなくてもそもそもファンクショナルでなければトレーニングではないので、全てのトレーニングはファンクショナルであるべき)
極端なことを言えばフィジカルトレーニングをして、あとはガンガン練習をすればフィジカルトレーニングが競技動作に「勝手に」運用されて(転化されて)パフォーマンスが自然と上がるというのが理想です。(運用される前提条件が整っている必要があるが)

その為に型が必要なのです。その型はヒップヒンジであったり、腹が抜けない姿勢だったり、様々だとは思いますが、とにもかくにも、それが動きの中で普通に運用されるように型(折り目)をしっかりとつけておくということです。実際の競技に入ってしまえば動き方なんかに気を配っている暇も余裕もないはずなので、それは自動化されるまで下意識に落とし込んでいきます。

ここで大事なのは“感覚”です。トレーニング中(分かりやすく言えばウエイトトレーニング中)であればとことん意識を動きの方に向けられるので、この角度ならこの筋をうまく動員できるとか、張力が上げられるだとか、楽に重りを上げられるだとか、そういったことにがっつりと意識を集中させます。そうして(ウエイト)トレーニング中に、「あ、今のうまくいった」「今のは失敗だった」という体験をどんどん積んでいきます。

その上で実際に競技動作をした時に同じような感覚が出てくればしめたものです。それは言い換えれば動きのコツとも言えるかもしれません。「あぁこういう風に力を出せばうまくいくのか」という感覚をいかに引き出せるかが鍵になります。この辺のことは以前「アハ体験を共有する」に書きました。

そこまでいけばあとはどうぞご自由にプレーしてくださいということで。技術、戦術、いろいろあるでしょう。動きの感覚はある程度プログラミングされてますから、勝手に運用されていきます。気にせずに普通にプレーしてみてくださいな というわけです。そう、この段階が待ちに待った「型からはみ出す」出番です。




ちなみに、フォームに正解があるわけでもなければ、皆が同じフォームで動作を行う必要もありません。個々に慣れ親しんだフォームがあるわけですし、感覚だって個人個人で違うはずなので、そこを揃える必要は全くないと思うのです。そもそも長年付き合ってきたフォームがおそらく自分にとって一番パフォーマンスが出るフォームでしょうから、それは型にはめていじくるのは良くありません。形から入るのではなく、感覚から入るのです。

自由にやらせてみて、感覚が上手く転用されていなければ、またシンプルなトレーニングに戻って型の練習をすれば良いわけです。きっと身体訓練というのはこれの繰り返しです。スランプや動きのずれが生じてもそうして帰る型があれば、パフォーマンスの波も少なくなるのだと思います。

ちなみにこれが出来るのは指導者と共通の言語で共通の理解ができるある程度年齢を重ねた選手だと思います。12歳までにその段階を習得することを目指すと言われていますが、実際には高校生ぐらいからかもしれません。

では、その年齢まではどうすれば良いか?

あそばせてください。

最高の運動教材はあそびです。

あそんで育った選手には大して運動指導はいりません。


「遊びの本質は、新しいプレーを創造すること」
―――――ズラタン・イブラヒモビッチ


「型がある人間が型を破ると「型破り」、型がない人間が型を破ったら「形無し」ですよ」
―――――無着成恭

『守・破・離』の考え方ですね。

分かりやすくまとまっていたのでこちらを参考に。
ゆにおん・ネタ帳「型がある人間が型を破ると「型破り」、 型がない人間が型を破ったら「形無し」


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