真似るということ

スポーツにおいて、運動の習得はどのように行われるのでしょうか。

大きなヒントがモノマネにあります。





モノマネが上手な人はとても運動能力が高いです。
真似るということは、多くの能力が求められます。
まずは観察力、そして対象人物の内部感覚、加えて行なう人自らの内部感覚。

観察するということは簡単のようで意外と難しいと思います。モノマネが上手な人は特徴をよく捉え、他の人が見えないところまで見えていることが多いですね。

そして対象人物の内部感覚。その人がどのような感じで動いているのかをあたかも自分が動いているかのように感じられるか。その感覚共有がなければモノマネはできません。これに関しては以前「アハ体験を共有する」というタイトルで投稿しました。

さらには自らの内部感覚。前述の対象人物の内部感覚を自分の体で表現し、しかも空間上の座標軸において再現できるか。これは相当難易度が高く、なかなかできるものではありません。

このあたりの感覚の共有、そして実現に関しては金子明友先生の『わざの伝承』を読むと理解がぐっと深まります。

運動において上達を望むのであればたくさんのモノマネをするといいと思います。目で見たものをまずはやってみる。それで初めて味わう感覚もあるでしょうし、予め予測した感覚との答え合わせができると思います。このあたりは前回の投稿「1回目の大切さ、難しさ」でも触れました。

書道の世界には「形臨」「意臨」「背臨」という言葉があるそうです。
形臨とは、まず形を真似ること。(技術面の習得)
意臨とは、原作者の意図や様々な背景までを汲み取ること。(精神の模倣)
背臨とは、記憶を頼りに同じようにやってみる。そしてあたかも自分のもののようにして応用すること。
という学習手段のようです。

これは運動、スポーツにおいても同じことが言えると思います。
というより、運動の習得というのはまさにこの通りです。

ひいてはビジネスの世界においても同じことが言えるようです。
一つウェブの記事を紹介します。

ここでは「3年間、俺のマネだけしてろ!」の言葉にあるように、仕事をまずは真似して、それから真似する人の意図を汲んで、最終的に自分のモノにするという、上記の形臨、意臨、背臨と同じことが書かれています。

余談ですが「真似る」という言葉は「学ぶ」と同じ語源と言われます。
「真似ぶ」ともいい、「真に似せる」という意味のようです。

そういえば私も恩師にはとにもかくにもただ真似をしろと言われたものでした。
初心忘れるべからずですね。



コメント

このブログの人気の投稿

摩擦の不思議と地面反力を考える

誰のためなのその指導?

スポーツやアスリートの存在意義や存在価値